第6回
2023-11-25
古墳時代から奈良時代の中頃まで、人々の営みは胆沢川沿いと現在の国道397号線沿いで続いていました。奈良時代以降は胆沢川沿いの集落がほとんどなくなり、北上川東西岸に見られるようになります。律令国家の圧力が増す時期であり、この地の社会にも変化があったのかもしれません。胆沢城造営後も集落は存続しますが、他地域の人々の集落内への流入や、他の集落に移動させられた在地の人々もおり、集落内の社会は激変しました。このようにして、律令国家からの支配と文化がこの地域に及び、徐々に律令国家へ組み込まれていったのでした。
(終)