第5回
2023-11-11
再びこの地に住み始めた人々は、コメつくりをする一方で南の、後に律令国家に組み込まれる地域の人々や北の狩猟採集を生業とする人々と交流(交易)をしていました。その一端が、リーダーのお墓、「末期古墳」に見られます。末期古墳には遺体を納めるのに礫を積み上げるもの(礫郭型)、地面に穴を掘っただけのもの(土壙墓型)の2つがあります。前者は南とのつながりが強いもの、後者は北とのつながりが深いものとも考えられています。リーダーを特別なお墓に埋葬するという意識は共通しているようで、宮城県以北特有の文化といえます。両者とも副葬品には刀や鏃、斧などの鉄製品、玉類などの装身具が副葬され、違いはほとんどありません。地方に関係なく同じような生活を送っていたのでしょう。