第4回
2023-11-04
角塚古墳を造営後、70年位はほとんど生活の痕跡がみられません。コメつくりができる地域に移動したのか、狩猟採集を行うようになったのか定かではありません。この時期、「倭国」から「律令国家」へと変革が進んでいきますが、現在の仙台市周辺から北部に影響が及ぶことはなく、再び人々が住み始めると律令国家には属さない地域としてみなされました。生活スタイルは古墳文化の影響が残っていると思われますが、大きな古墳を造営できるような技術力や経済力はなく、またより広い地域を支配する実力者も存在しませんでした。集落単位程度のリーダーが存在し、他の集落と同盟あるいは敵対といったある種の部族的な社会だったのではないかと考えられています。