上舘遺跡の発掘調査~12世紀後半の居館!?~
2022-12-10
上舘(かみだて)遺跡は、国指定史跡胆沢城跡の北西側、奥州市水沢佐倉河字八ツ口地内に位置し、すぐ北側には胆沢川が東流しています。以前にも「胆沢城と中世景観」で紹介しました中世城館跡です。この中世城館は4つの郭(くるわ)によって構成され、その外周や内部は堀によって区画されています。
発掘調査は、令和4年8月25日~11月19日まで行われました。調査区は、北側の郭が対象で、調査面積は約770m2です。主な遺構は、大規模な堀跡1条、かわらけの焼成窯跡1基、中世後期の柱穴状ピット群90基以上、中世後期の墓跡1基が検出され、中世前期(12世紀後半)と後期(15~16世紀)の2時期の遺構が想定されます。
堀跡は調査区の南側に位置し、3か所のトレンチ(A~C)を設定して掘削を行いました。堀幅はBトレンチで約9m、深さは検出面より約1.6mを測ります。この堀跡の埋土は、大別して2層に分類し、上層は16世紀以降の整地層、下層は12世紀後半以降の埋土と推察されます。下層からは、12世紀後半を中心としたロクロかわらけ、てづくねかわらけ、貿易陶磁器(青磁・白磁・青白磁)、国産陶器(渥美・常滑製品など)、木製品(木椀片など)が出土しています。ただし、10世紀前半の須恵系土器も若干含まれるため、堀跡の性格は今後の検討が必要であります。
かわらけ焼成窯は、堀跡の北側に位置し、不整形で幅1.1×9m、深さ0.2mを測ります。西側壁面は被熱を受けており、床面中央には炭化材が集積しています。埋土からは、てづくねかわらけや焼けた粘土塊が出土しています。このようなかわらけ焼成窯は、国史跡である白鳥舘遺跡からも検出されています。
中世後期の遺構は、90基以上の柱穴状ピット群が検出され、埋土からは、戦国時代に流通した中国銭(永楽通宝など)や、「青花」と呼ばれる中国産磁器の染付皿、瀬戸美濃産陶器灰釉皿など16世紀代の遺物が出土しています。柱穴状ピット群は、同じ場所に集中して、掘りこまれており、大きな建物跡があった可能性があります。
上舘遺跡の性格は、12世紀後半のかわらけ・貿易陶磁などが集中して出土したことや、巨大な堀跡の存在から、調査区外の南側に奥州藤原氏関連の居館などが存在していた可能性が十分に考えられます。鎮守府胆沢城は10世紀後半以降に廃絶し、その後の様相は分かりません。12世紀後半には、藤原秀衡が鎮守府将軍に任官されており、居館を想像させる巨大な堀跡とかわらけが、かつて鎮守府があった場所を意識しているかのように感じます。
(文:専門調査員 遠藤栄一)
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