シリーズ5◆胆沢城跡の国史跡指定
胆沢城跡は今から100年前の大正11年10月12日に、内務省告示第270号で国指定史跡となりました。しかし、そのころ胆沢城跡の擬定地には複数の候補がありました。その中でどのようにして現在の史跡指定地が選ばれたのでしょうか。
史跡指定地のある水沢佐倉河の地には鎮守府八幡宮が鎮座し、豊かな歴史文化が育まれています。また、同地には「方八丁」と呼ばれる地名とともに、胆沢城外郭の痕跡がはっきりと残されていました。さらに、郷土史家の佐藤長三郎氏が、大正4年に開催された日本歴史地理研究会夏季講演会の折、研究者に「方八丁」から出土した軒丸・軒平瓦を披露したことで、その関心を引くことに成功したようです。大正10年5月と同11年5月の2度にわたる史蹟名勝天然紀念物調査会考査員による実地踏査を経て、史跡の指定を受けました。
時は流れて昭和29年から胆沢城跡の発掘調査が始まり、昭和49年からは専任の調査員を置いた計画的な発掘調査が行われるようになりました。そして平成5年、胆沢城跡の調査研究とガイダンス機能を担う水沢市(現奥州市)埋蔵文化財調査センターが開館し、現在に至ります。
今回の特別展には、鎮守府八幡宮様より坂上田村麻呂公ゆかりの宝剣と鏑矢が特別出展されております。