シリーズ1◆胆沢城跡出土木簡
木簡とは、文字の書かれた木の札で、古代史を研究する上で欠かすことのできない資料です。胆沢城跡からも木簡は出土しており、歴史書にはみえないような古代の人々の姿が明らかにされてきました。
左の木簡には「和我連□□進白五斗」という文字が記されていました。「和我連(わがのむらじ)」は人名で、和賀地域(現在の北上市周辺)の豪族だと考えられます。「進白五斗」は「白米五斗を進上する」と解釈できますが、この内容から、鎮守府胆沢城が和賀地域にまで影響力を及ぼし、現地の豪族と何らかの貢納関係を結んでいる状況が想定されます。
右の木簡には「勘書生吉弥侯豊本」と書かれていました。「勘」は「勘検」、つまりチェックしましたということで、「書生」は下級の書記官、「吉弥侯豊本(きみこのとよもと)」は人名です。木簡全体では「書生の吉弥侯豊本が(何らかの物品を)チェックしました」というような内容になります。注目されるのは人名のウジ名にあたる「吉弥侯」で、これは蝦夷系の人物によく見えます。鎮守府胆沢城では現地の蝦夷たちも様々な仕事にあたっていたようです。