トップページ > 講座・体験学習 > 企画展「変化したエミシのムラ~胆沢城の在地経営~」 一覧へ戻るその32024-11-10 他地域から新たにやってきた人々は、窯業、鍛冶、建築など新しい技術も持ち込みました。ろくろを使用する技術は瞬く間に広がり、ほとんどの土器がろくろを用いて作られるようになりました。また、窯業生産は江刺の瀬谷子窯跡が100年ほど継続して操業される一大生産地となりました。鍛冶工房は初め、胆沢城内に作られます。胆沢城造営に用いた工具等を補修したのでしょう。その後は集落へと広がります。胆沢の明神下遺跡では、ほとんどの竪穴建物跡内で鍛冶作業が行われており、技術集団が生活した場所だったかもしれません。