トップページ > 講座・体験学習 > 企画展「変化したエミシのムラ~胆沢城の在地経営~」 一覧へ戻るその22024-10-28 胆沢城造営後の胆沢地方は、元々住んでいたエミシと、他地域から新たにやって来た移民が共生する地域になりました。胆沢地方とは構造が異なる住居や土器が見つかったことから分かります。エミシが使う土器は野焼きで焼成した「土師器(はじき)」でしたが、登り窯で焼成する「須恵器(すえき)」が加わります。須恵器は専門工人が作る器で、高温で焼成されるため硬質です。また、小さな器はろくろを回転させて作ります。胆沢城造営後はろくろで作った土器が一般的に使われるようになるとともに、登り窯を使用した窯業生産が始まります。(林前遺跡 SI58竪穴建物跡)胆沢城造営後に作られた集落。煙道が短い。関東と関連のある人が住んでいた可能性があります。(林前遺跡 SI59竪穴建物跡)煙道が長いタイプ。胆沢地方では一般的にみられる。同集落内であっても、建物の構造が違っています。