胆沢城の地鎮具―センター常設展示から―
2023-06-10
土木・建築工事を行う前に、工事の安全を祈るとともに、その土地の神様が怒らないよう鎮める儀式を、地鎮といいます。今回は、胆沢城跡から見つかった地鎮に関する資料(地鎮具)を取り上げます。
まず紹介するのは、センターで「地鎮の長頸瓶(ちょうけいへい)」と呼んでいる資料です。昭和30年の第2次調査でその一部が発見され、昭和55年の第38次調査で、遺構・遺物の全体像が判明しました。長頸瓶とは、くび(頸)の長いつぼのことです。
「地鎮の長頸瓶」は、5つの長頸瓶が1辺4.2mの四角形の四隅と中央に、規則正しく並べて埋められていました。しかも、長頸瓶は逆さにした坏で蓋をされていたようです。こうした特殊な出土状況からは、やはり地鎮などの祭祀で使用されたと考えられます。ちなみに、発見当時には長頸瓶の中に何も入っていませんでしたが、蓋がされていたことを考慮すれば、埋めた当時は何か捧げものを入れていた可能性もあります。
次に紹介するのは、地鎮の鈴と形代です。この2つの資料は、平成9年の第73次調査で、建物跡の柱穴から出土しました。鈴も形代も、祭祀で用いられる道具です。
古代において、鈴は単なる楽器ではなく、神霊を招くとともに、邪悪なものをはらう呪力があると信じられていました。一方の形代とは、何かの形を模して、その代わりとして作った呪術道具のことです。この形代は刀を模しているようで、武器本来の威力で邪気をはらおうとしたものと思われます。
胆沢城跡出土の地鎮具として、この他には、昭和58年の第43次調査と翌59年の第45次調査で出土した、碁石も挙げることができそうです。
ところで、現代でも地鎮の儀式は行われており、神職による神道式の地鎮祭をよく目にします。ですが、古代では、僧侶や陰陽師による地鎮もあり、その方法も実に様々でした。胆沢城で、どんな人が、どんな儀式次第や呪法で地鎮を行ったかは、よくわかっていません。
今回紹介した資料は、センター常設展でいつでも展示していますので、ぜひご来館いただいて、実物を見ながら、あれこれ考えてみるのも面白いかもしれません。
(専門学芸員:大堀秀人)
※禁無断転載