胆沢城と古代のごちそう
2023-01-11
年末年始には、クリスマスにお正月、忘年会に新年会と、美味しい食事を口にする機会も多かったのではないでしょうか?もちろん古代においても、重要な行事がある時には宴会が開かれ、集まった人たちにごちそうが振舞われました。
当センターの常設展では、古代の食事を復元したものを展示しています。白米にアワビのウニあえとワカメの汁もの(以上前列)、アユの塩焼きにシカ肉のなます、そして様々な果実など(以上後列)と、実に豪華な食材が並んでいます。ただし、古代は位によって出される食事に違いがありました。このくらいのものを食べられるのは上級役人に限られます。下級の役人には玄米にヒジキの煮物と塩というような、とても質素なメニューが出されました。
しかし、この復元古代食は、胆沢城よりも都の資料に基づくところが多く、あくまでもイメージにすぎません。復元古代食の展示は、ご来館の方々からよく興味を持ってもらえるのですが、胆沢城にいた人たちがこれと全く同じメニューを食べていたかというと、必ずしもそうは言い切れません。では、胆沢城の場合、実際にはどんなごちそうが振舞われていたのでしょうか?
古代には「水陸万頃※」と称された胆沢平野、もちろんおいしいお米や雑穀があったことでしょう。その他、胆沢城跡からは、モモ・クルミ・クリ・ウリの種、イノシシやシカの骨、漁の網に付ける土製のおもりなどが出土しています。文献資料には、鎮守府では蝦夷たちをもてなす「俘饗」のために、狩りや漁を行っていたことが記されていますが、考古資料からもその様相がうかがえます。そして、宴会で欠かすことができないのは、なんといってもお酒です。胆沢城跡からは「酒所」と書かれた墨書土器が見つかっています。
※水陸万頃…水田と陸田が広大であること
文:専門学芸員 大堀秀人
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